あったかブログ

2013/09/11 更新

ぬきな ゆうなさん 市民運動の先頭で奮闘

ぬきな ゆうなさん 市民運動の先頭で奮闘
被災者への個人補償実現、神戸空港反対、中学校給食実現

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「困っている人を見ると、知らん顔できないんですよ」
こう話し、笑う、ぬきなさん。主に神戸市北区で多くの市民運動にとりくんできました。
反核・平和、震災被災者への個人補償実現、神戸空港ストップ、保育所民営化反対、中学校給食実現、高校統廃合反対、神戸電鉄粟生線や社保中央病院を守る…。これらの運動の先頭には常に、ぬきなさんの姿がありました。
徹底して市民に寄り添ってがんばる姿勢が「市民にあたたかい神戸をつくる会」から「うってつけの人」と評価され、候補者に要請されました。ぬきなさんは「市民の願いを実現するいろんな運動をやってきたことが、他の候補との一番の違いでは」といいます。

子どもに安心を
1951年に須磨区で生まれ、灘区で育ち、須磨区、垂水区をへて北区に33年住む、生粋の神戸っ子です。
黒人問題研究で著名な貫名美隆・神戸外大名誉教授(故人)と貫名初子・元日本共産党神戸市議が両親。「ゆうな」は、エスペラント語(戦争も差別もない世界をとの願いがこめられた国際共通語)で「若さ」「青春」という意味で、美隆さんが名づけました。
3人の息子がいます。「新しい命を生んで、子どもが安心して生きることができる環境をつくるには私たちが頑張らないと、と思うようになった」といいます。須磨区で新日本婦人の会に加わり、北区で同神戸北支部の事務局長を務めました。

温かい神戸に
1995年の阪神・淡路大震災。すぐ激震地の兵庫区に入り、街頭で連日の炊き出し、新婦人会員や被災者の安否確認など救援活動に奔走しました。
同年5月から日本共産党神戸中地区委員会(当時)に勤務し、震災担当者として被災者の生活再建に尽力。弱い立場の被災者が集められ、極端な寒さと暑さなど劣悪な住環境の北区の仮設住宅で、一人ひとりの声を聞き、生活保護申請をはじめ多くの人たちの生きる手助けをしました。中央区の復興住宅団地「HAT神戸・脇の浜」では、被災者とともに同団地を通るバス路線を新設させました。
「まともに暮らせない仮設住宅に弱者を追いやる一方、がれきの下に人が埋まっている震災直後に当時の市長は『神戸空港はつくる』と宣言しました。震災以来、神戸市政は市民の立場に立っていない」と強調します。
笑顔が印象的な、誰からも好かれる穏やかな人柄。衆院兵庫2区に立候補した昨年の総選挙では、「やさしそうやから」という理由で、ぬきなさんに投票した人もいました。
立候補表明から2週間。団体まわりではどこでも「決意してくれてありがとう」と大歓迎されます。
「高齢者、被災者の方がたが人間らしく生きられる神戸、子育て世代や若者の切実な願いがかなうあたたかい神戸にしなくては、と強く思う。必ず勝ちたい」と決意を語ります。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年9月5日付 近畿の面に掲載

市民の手による、市民のための神戸市政を作っていきましょう。そのためにも、サポーターをどんどん増やして、ぬきなゆうなさんの人柄や政策をどんどん知らせていきましょう。